本題“自分はなぜここにあるのか”その0
では始めます。
“自分はなぜここにあるのか”この古くて新しい問いは誰でも一度は自分に問いかけたことがあるかと思います。一方で全く考えたこともない人も多いような気もします。今回は少し変わった話しと思って読んでいただければ幸いです。
“自分はなぜここにあるのか”についてニーチェはその著作の中でこの世界はこの「“なぜ”に対する答えが絶対的に欠けている」(道徳の系譜)と言っています。そして“自分はなぜここにあるのか”についても「ここ当分の間はわからない」という言い方をしています。
人間はなぜ存在するのか、この地球や太陽はなぜ存在するのか、そもそも宇宙はなぜ存在するのか、宇宙はビッグバンから始まって今現在も膨張していると言われていますがなぜこれらが在るのか・・・はわかりません。このなぜ存在するのかに対する答えがないということはその存在の意味さえも分からないことを指します。また全ての存在はそれぞれ一様に存在する存在であり、そこに上位も下位も重いも軽いもなく単に相対的なものに過ぎず、その存在には意味も価値もないことがわかります。かつて日本の首相が「人命は地球より重い」と発言しましたが存在そのものからすれば同等の存在でありどちらが重い軽いはないのです。
またこの意味のない存在について旧約聖書伝道の書では「空(くう)の空、空の空、いっさいは空」に始まり、あらゆる人間の努力の無益さと人生の無意味さ、さらに現実世界の不条理なることを語っています。